アンネ・フランクの家 完全ガイド|チケット予約の取り方・見どころ・所要時間をアムステルダムから解説【2026年最新】

©Dietmar Rabich / Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0
アンネ・フランクの家は、アムステルダムのプリンセン運河263〜267番地にある博物館です。アンネと家族を含む8人が2年あまり身を隠した「後ろの家」が、家具を入れないまま残されています。入館できるのは公式サイトで日時を指定して買ったチケットだけで、当日券はありません。ヨーロッパ旅行を専門とする旅行会社として、予約の仕組みから見学の実務までを整理しました。

- チケットは毎週火曜10時に「6週間後の分」がまとめて出る——買える日の逆算方法まで
- 当日券は販売されていない——古い案内が残っているので注意が必要な理由
- 見学の平均所要時間は約1時間——旅程にどう組み込むかの目安
- 入館できない条件が4つある——10歳未満・大きい荷物・撮影・急な階段
- 建物のどこに何が残っているか——回転式の本棚から日記の原本まで
- トラムが最寄りまで走っていない——2028年2月までの現在のアクセス
- 市内に残るアンネゆかりの場所——像・住んでいた家・記念碑
こんなお悩み、ありませんか?
チケット争奪に
間に合うか
夜しか取れない
日程はどう組む?
ドイツとつなげると
何日必要?
アンネ・フランクの家はチケットが取れた日時に旅程のほうを合わせる必要がある、珍しいタイプの見学先です。ほかの予定との順番を先に決めておかないと、市内の移動が一日じゅう慌ただしくなります。
Epic Traverse は、ヨーロッパを専門とする旅行会社として、あなたの日程・予算・興味に合わせたオランダの旅程をオーダーメイドで設計します。
アンネ・フランクの家とはどんな場所か
アンネ・フランクの家(Anne Frank Huis)は、アムステルダム中心部のプリンセン運河沿いに建つ博物館です。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害から逃れるためにアンネ・フランクと家族を含む8人が身を隠していた建物が、そのまま公開されています。
他の博物館と違うのは、見るものが展示品ではなく部屋そのものだという点です。隠れ家には家具が一つも置かれていません。がらんとした部屋を順路どおりに歩く。見学の中身は、ほとんどそれだけです。
住所と入口——建物の番地と入口の番地が違う
公式サイトによると、アンネ・フランクの家はプリンセン運河263〜267番地(Prinsengracht 263-267)にあります。ただし博物館の入口は角を曲がったウェステルマルクト20番地(Westermarkt 20)です。番地が違うので、地図アプリで「Prinsengracht 263」を目指すと建物の正面には着きますが、そこは入口ではありません。
💡 迷わないための一言
入口は運河沿いではなく、西教会(ウェステルケルク)側の角にあります。運河に面した古い建物の写真をよく見かけますが、そちらは見学の出口側にあたります。地図アプリには「Anne Frank House」か「Westermarkt 20」で入れておいてください。

©Ank Kumar / Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0
建物は世界遺産の運河地区の中にある
アンネ・フランクの家が面するプリンセン運河は、2010年にユネスコ世界遺産に登録された「シンゲルグラハト内側の17世紀アムステルダム環状運河地区」を構成する運河の一つです。つまり建物そのものが世界遺産に登録されているわけではなく、世界遺産に登録された運河地区の中に建っているという関係になります。
この地区は17世紀に湿地を干拓して造られた計画都市で、細長い切妻屋根の建物が運河沿いに並んでいます。アンネ・フランクの家も、外から見ればその並びに溶け込んだ一軒にすぎません。看板も大きくありません。「思っていたより地味だった」という感想が多いのは、この街並みの中に普通に建っているからです。

Mustang Joe / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
今も博物館を支えているのは入館収入
公式サイトによると、アンネ・フランクの家には約250人の職員が働いており、年間約120万人が訪れています。博物館の運営について、公式は「継続的な政府補助は受けておらず、来館収入に依存している」と説明しています。大規模改修や教育事業については、財団・寄付・EUおよびオランダ政府の助成に頼っているとのことです。
アンネ・フランクという人——16年の生涯
建物を見るとき、そこにいた人を知っているかどうかで受け取り方が変わります。公式サイトの日本語ページに沿って、アンネ・フランクの生涯を年代順にたどります。
ドイツで生まれ、オランダへ移った少女
アンネ・フランクは1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで生まれました。3歳年上の姉マルゴットがいます。当時のドイツは不景気で、アドルフ・ヒトラーとその政党が勢力を伸ばしていた時期でした。ヒトラーはドイツが抱える問題の責任をユダヤ人になすりつけ、広まっていた反ユダヤ感情を利用します。
この状況と不景気が、両親のオットーとエーディトにアムステルダム移住を決心させました。オットーはアムステルダムで、ジャム作りに使うペクチンを扱う会社を設立します。アンネはオランダ語を覚え、近所の学校に通い、友達をつくりました。

©Franklin Heijnen / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0
戦争が始まり、行ける場所が減っていく
1939年9月1日、アンネが10歳のときにナチス・ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まります。1940年5月10日にはオランダにも侵攻し、5日後にオランダ軍は降伏しました。
その後ドイツ軍は、ユダヤ人の生活を困難にする法律や条例を段階的に導入していきます。公式サイトによると、ユダヤ人は公園・映画館・商店などへの出入りを禁じられ、会社を持つことも禁じられました。オットーも会社を失います。ユダヤ人の子どもたちはユダヤ人の学校に通わなければならなくなり、アンネが行ける場所は少しずつ減っていきました。やがて「ユダヤの星」の着用が義務づけられます。
1942年7月、身を隠す
1942年7月5日、姉のマルゴットにナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届きました。両親はこの召集が本当に労働のためだとは信じず、翌日から隠れることを決めます。
オットーは1942年の春から、プリンセン運河263番地にあった自分の会社の裏手の離れに、隠れ家の準備を進めていました。会社の社員たちがそれを助けています。一家が移ったあと、さらに4人が加わり、隠れ家の住人は8人になりました。
日記——13歳の誕生日に贈られたもの
アンネは隠れ家に移る前、13歳の誕生日に日記をプレゼントとして受け取っています。隠れ家で暮らした2年のあいだ、そこでの出来事や自分が感じたこと・考えたことを日記に書き続けました。短い物語や小説も書き始め、読んだ本から抜き出した一節を「お気に入りの文の本」に書き写してもいます。公式サイトは「書くことはアンネにとって大きな慰めでした」と記しています。
途中で、イギリスに亡命していたオランダ政府の教育大臣が、ラジオを通じて戦時中の日記や書類を保存しておくよう国民に呼びかけました。それを聞いたアンネは、日記を『後ろの家』というタイトルの一つの物語としてまとめることを思いつきます。清書を始めましたが、その作業は終わりませんでした。
1944年8月4日以降
1944年8月4日、アンネと隠れ家の住人は警察に発見され、逮捕されました。支援者のうち2人も逮捕されています。なぜ警察に隠れ家の存在が知られたのかは、公式サイトによれば現在もはっきりわかっていません。密告説をはじめさまざまな説が唱えられてきましたが、公式が断定していない以上、この記事でも断定しません。
襲撃にもかかわらず、日記の一部は残りました。ナチスの命令で隠れ家のものがすべて持ち出される前に、別の支援者2人が日記を隠したからです。
住人たちは親衛隊保安部、ドイツの治安警察、アムステルダムの刑務所、ヴェステルボルク通過収容所を経て、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制絶滅収容所へ移送されました。公式サイトによると、この列車の旅は3日間続き、そのあいだアンネを含む約1,000人が家畜用の車両に詰め込まれています。到着後、同じ列車で送られてきた人のうち約350人がガス室に送られ、殺害されました。
1944年11月初め、アンネとマルゴットはベルゲン・ベルセン強制収容所へ移されます。両親はアウシュヴィッツに残されました。ベルゲン・ベルセンでは食料がほとんど与えられず、非常に寒く、姉妹はともに発疹チフスにかかります。2人は1945年2月に亡くなりました。まずマルゴットが、その後まもなくアンネが。
隠れ家の8人のうち、戦争を生き延びたのは父オットーだけでした。ロシア軍によりアウシュヴィッツから解放され、オランダへ戻る長い旅の途中で妻エーディトの死を、オランダに戻ってから娘2人の死を知らされます。
日記が世界に出るまで
保管されていた日記はオットーに深い感銘を与えました。日記には、アンネが作家かジャーナリストを志望していたこと、隠れ家での生活について本を出すつもりだったことが書かれていたためです。友人たちに勧められ、1947年6月25日に『後ろの家』3,000部が出版されました。その後、日記はおよそ70の言語に翻訳され、劇や映画にもなりました。

アンネが移送されたアウシュヴィッツ=ビルケナウは、ポーランドのクラクフから日帰りで訪れられる場所にあります。アムステルダムとあわせて訪れる方に向けて、クラクフ側の記事で見学の実務をまとめています。
隠れ家での2年間——8人はどう暮らしていたか
「隠れ家」と聞いて、地下室や屋根裏の狭い一室を想像する方が多いかもしれません。実際は違います。プリンセン運河263番地という建物の、裏側にあたる部分がまるごと隠れ家でした。オランダ語で「achterhuis(後ろの家)」と呼ばれるこの構造は、アムステルダムの運河沿いの建物によくある形です。
8人が誰だったのか
公式サイトによると、隠れ家に入った順序は次のとおりです。
2つの家族はもともと知り合いでした。ヘルマン・ファン・ペルスがオットーの会社で働いていたためです。8人目のフリッツ・プフェファーは、アンネと同じ部屋を使うことになります。
部屋の割り当て——どこに誰がいたか
公式サイトが公開している隠れ家の見取り図では、部屋の構成は次のようになっています。順路もおおむねこの並びをたどります。
| 場所 | 使っていた人 | 補足 |
|---|---|---|
| 本棚のある踊り場 | —— | 隠れ家への入口。回転する本棚で扉が隠されていた |
| オットー・エーディト・マルゴットの部屋 | 両親と姉 | 3人で使用 |
| アンネとフリッツ・プフェファーの部屋 | アンネと8人目の住人 | 13歳の少女と面識の薄い年長の男性が同室だった |
| ヘルマンとアウグステ・ファン・ペルスの部屋 | ファン・ペルス夫妻 | 昼間は共同の居間としても使われた |
| ペーター・ファン・ペルスの部屋 | ペーター | 屋根裏へ上がる階段がある |
| 浴室 | 共用 | 8人で共用 |
| 屋根裏 | 共用 | 窓から外の景色が見えた数少ない場所 |
出典:アンネ・フランクの家 公式サイト「The Secret Annex」(2026年8月26日確認)

Wim van Rossem for Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
音を立てられない日中
隠れ家の手前——プリンセン運河に面した側——は、オットーの会社の事務所と倉庫として動き続けていました。倉庫で働く人たちは隠れ家のことを知りません。つまり日中は、階下に「知らない人」がいる状態で息をひそめている必要がありました。
公式サイトは、隠れ家について「隠れ家はとても小さく、アンネは物音を立てないようにしなければならず、そしていつも怯えていました」と記しています。その2年間を、同じ部屋に立って想像することになります。

Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
アムステルダムの運河沿いの建物は、間口が狭く奥行きが長い造りになっています。表通りに面した棟の裏に、中庭をはさんでもう一棟あるのが一般的で、これを achterhuis と呼びます。アンネの日記の原題『Het Achterhuis』は、そのままこの建築様式の名前です。日本語版のタイトル『アンネの日記』からは分かりませんが、原題を知っていると、順路で表の棟から中庭側へ回り込む動きの意味が分かります。
見どころ——建物のどこに何が残っているか
アンネ・フランクの家の見学は、順路が一方向に決まっています。表の建物(事務所と倉庫)から始まり、本棚の裏を通って隠れ家へ入り、最後に展示室を抜けて出口に向かう流れです。ここでは、その途中で必ず出会うものを順に紹介します。
1. 回転式の本棚——隠れ家の入口
この博物館でもっとも知られている場所です。隠れ家への扉は、書類が並んだ本棚で隠されていました。本棚は片側を軸にして手前に開き、その裏に隠れ家へ上がる階段があります。
写真で見ると仕掛けめいて見えますが、実物は特別な機構ではありません。書類棚として自然に見えるように作られています。順路では、この本棚の裏を実際にくぐって隠れ家へ入ります。

©Dennis G. Jarvis / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0
2. 家具のない部屋——なぜ空のままなのか
隠れ家の部屋には家具がありません。これは保存の都合ではなく、オットー・フランク本人の希望です。逮捕後、ナチスの命令で隠れ家の家財はすべて運び出されました。戦後の修復のとき、部屋に家具を入れ直すかを尋ねられたオットーは、次のように答えたと記録されています。
「アンネ・フランクの家が修復されたあと、部屋に家具を入れ直したいかと聞かれました。でも私は言いました。『いいえ。戦争中に彼らが全部持ち出した。私はそのままにしておきたい』」
そのため見学者が歩くのは、当時の暮らしを再現した部屋ではなく、家財が運び出されたあとの空っぽの部屋です。この経緯を知らずに入ると、ただ何もない部屋に見えてしまいます。
3. アンネの部屋の壁——貼られたままの切り抜き
アンネが使っていた部屋の壁には、彼女が貼った雑誌の切り抜きや絵はがきが残っています。映画スターの写真や風景の絵など、10代の少女が自分の空間を少しでも自分らしくするために選んだものです。家具のない部屋のなかで、ここだけに個人の好みが残っています。

Wim van Rossem for Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
4. 屋根裏——外が見えた数少ない場所
ペーター・ファン・ペルスの部屋から階段を上がると屋根裏があります。ここは隠れ家のなかで外の景色が見えた数少ない場所で、アンネも日記でこの場所について書いています。オットー・フランクが1960年5月3日の開館式典の数時間前に撮影された有名な写真も、この屋根裏で撮られたものです。
5. 日記の原本——展示室で見られるもの
順路の後半では、隠れ家を出て展示室へ入ります。ここでアンネが実際に書いた日記の原本を見ることができます。13歳の誕生日に贈られた赤いチェック柄の日記帳のほか、書き足した学習用ノートなども残されています。
展示室では、逮捕後にたどった経路や、日記が出版されるまでの経緯も紹介されています。隠れ家では何も置かれていない部屋を見て、展示室ではそのあと8人に何が起きたかを資料で知る。この順番で見学が終わります。

Wim van Rossem for Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
6. 企画展——常設だけではない
アンネ・フランクの家では企画展も開かれています。2026年8月26日時点で公式サイトが案内しているのは「Who’s gone?(誰がいなくなった?)」——ユダヤ人リセウム 1941〜1943年という企画展です。わずか2年間だけ存在した学校を、生徒と教師の視点から追う内容とされています。企画展は入れ替わるため、訪問前に公式サイトで確認してください。
チケットの取り方——毎週火曜10時に何が起きるか
アンネ・フランクの家でいちばん手こずるのは、見学そのものではなくチケットを手に入れることです。仕組みが独特なので、順を追って説明します。
⚠️ 最初に押さえる3点
- チケットは公式サイトでのみ販売されています。公式は「Tickets only available through this website!(チケットはこのウェブサイトでのみ販売)」と明示しています
- 当日券は販売されていません。公式の利用規約に「Tickets are not sold at the door, only online.(チケットは窓口では販売せず、オンラインのみ)」と書かれています
- 日時指定制で、交換も払い戻しもできません。他人への譲渡もできず、指定された日時のみ有効です
販売日は「毎週火曜10時に、6週間後の分」
公式サイトの記載はこうです。「Every Tuesday at 10am CEST all tickets become available for a visit six weeks later(毎週火曜日の中央ヨーロッパ夏時間10時に、6週間後の訪問分のチケットがすべて発売される)」。
行きたい日が決まったらその6週間前の火曜日を数え、その日の現地時間10時に公式サイトへアクセスします。これが基本の動き方です。日本時間では、夏時間の期間が17時、冬時間の期間が18時にあたります。

©Ank Kumar / Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0
入場料——2026年8月26日時点の公式料金
| 区分 | 料金 | 備考 |
|---|---|---|
| 大人 | €16.50 | €1.00の予約手数料込み |
| 10〜17歳 | €7.00 | €1.00の予約手数料込み |
| 0〜9歳 | €1.00 | €1.00の予約手数料込み。ただし公式は10歳未満には向かないとしています |
| ミュージアムカード | €1.00 | アプリのデジタルカードまたは実物のパスが対象 |
| ICOMカード | €1.00 | —— |
| EYC(欧州ユースカード) | €7.00 | —— |
| I amsterdam City Card | 割引なし | 公式に「no discount」と明記 |
| 学生証 | 割引なし | 公式に「no discount」と明記 |
出典:アンネ・フランクの家 公式サイト「Tickets」(2026年8月26日確認)。いずれの区分でも、日時を指定したチケットをオンラインで予約する必要があります。料金は改定されることがあるため、訪問前に公式サイトでご確認ください。
💡 ミュージアムカードと I amsterdam City Card は扱いが違います
アムステルダムの観光でよく比較される2つのカードですが、アンネ・フランクの家では扱いが正反対です。ミュージアムカードは€1.00で予約できるのに対し、I amsterdam City Card は割引がありません。学生証も対象外です。どちらのカードを買うか検討している方は、この違いを判断材料に入れてください。
「見学のみ」と「導入プログラム付き」の違い
公式サイトでは、チケットを買うときに2種類から選べます。
- 順路に沿って自分のペースで見学
- オーディオツアーが含まれる(日本語あり)
- 平均所要時間は約1時間
- 枠数が多く、比較的取りやすい
- 見学前に30分の解説プログラムが付く
- 第二次世界大戦の文脈のなかでアンネの歴史を解説
- プログラムは英語で行われます
- 合計の所要時間は約1時間30分を見込む
出典:アンネ・フランクの家 公式サイト(2026年8月26日確認)。導入プログラムは英語のみのため、英語での聴講に不安がある場合は「見学のみ」を選び、館内の日本語オーディオツアーを活用する方法もあります。
当日券について——古い情報が残っているので注意
公式サイトは現在、窓口でのチケット販売を行っていないと明記しています。それにもかかわらず、日本語で検索すると「当日券は予約状況次第で買える」「当日券にチャレンジした」といった記述が今も上位に出てきます。
これは情報が誤っているというより、書かれた時点と現在で運用が変わっていると考えるのが自然です。実際、旅行者が書いた比較的新しい記事のなかにも「昔の記事では当日券の記載があるが、現在は基本的に売っていない」と注意を促しているものがあります。
⚠️ 「行けば何とかなる」で現地に向かわないでください
アンネ・フランクの家は、チケットを持っていない人が入れる仕組みがありません。現地で並んでも購入窓口はなく、入館できません。ここは他の多くの観光施設と決定的に違う点です。旅程を組む段階で「チケットが取れなかった場合はどうするか」まで決めておいてください。
予約が取れなかったときにできること
6週間前の火曜日を逃した、あるいはその日にアクセスしたが売り切れていた。そういう場合に取れる手を挙げます。
ほとんどの観光施設は、旅程を組んでから訪問時間を当てはめられます。この施設は逆で、取れたチケットの日時に、その日の他の予定のほうを合わせる必要があります。当社でオランダの旅程を設計するときも、アンネ・フランクの家だけは先に日時を確定させ、美術館や近郊への日帰りをそのあとに配置しています。航空券やホテルより先に「6週間前の火曜日」がカレンダーに入ることも珍しくありません。旅行の日程が決まった時点で、まずこの火曜日を特定してください。
見学の実務——所要時間・年齢制限・荷物・撮影
チケットが取れたあとに知っておきたい実務をまとめます。ここには「知らないと当日入れない」条件が含まれていますので、出発前に一度目を通してください。
入館できない・入りにくい4つの条件
荷物——これがいちばん見落とされやすい
公式サイトのクロークの案内は明確です。「Only bags that are smaller than an A4 sheet of paper can be carried inside(A4の紙より小さいバッグだけが館内に持ち込めます)」。そして大きなバッグ・リュック・スーツケースなどを預けるスペースはないと書かれています。
公式は「荷物はホテルに置くか、アムステルダム中央駅に預けてください。そうしないと入館できない可能性があります」と案内しています。チェックアウト後にスーツケースを持って向かうと入れません。コートやA4より小さいバッグ、ベビーカーはクロークで預けられます。
⚠️ 移動日に組み込むときの注意
「午前にホテルをチェックアウト → アンネ・フランクの家 → 午後の列車で次の街へ」という旅程は、荷物の置き場所を先に決めない限り成立しません。中央駅のコインロッカーに預けてから向かうか、ホテルに荷物を預かってもらってから見学し、そのあと取りに戻るか。どちらかを事前に決めておいてください。
撮影禁止——スマートグラスも対象です
公式サイトは、館内での写真・動画の撮影を禁止しています。理由として「オリジナルの展示品を保護するため、また他の見学者の迷惑にならないため」と説明されています。そのうえで「スマートグラス、カメラ付き眼鏡、AI眼鏡にも適用される」と明記しています。
この記事に館内の写真が少ないのも同じ理由です。訪問前に建物の中を見ておきたい場合は、公式サイトがオンラインの3Dツアーを公開しています。
オーディオツアー——日本語が含まれています
公式サイトによると、オーディオツアーは9言語で用意されています。オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語、ヘブライ語、イタリア語、日本語、ポルトガル語、スペイン語です。
オーディオツアーは、アンネと隠れ家の人々、それを支えた人たちの物語に加えて、ユダヤ人迫害と第二次世界大戦についての背景も解説します。公式は「オーディオツアーは見学の重要な一部です」と位置づけています。若い見学者向けに、アンネの視点から語られる「Anne’s Story」というバージョンも用意されています。
💡 日本語で聞けるのは音声ガイドです
日本語で受けられるのはオーディオツアーで、人が案内するガイドツアーではありません。前述の30分の導入プログラムは英語で行われます。日本語のガイドを希望する場合は、現地ツアーを別途手配する形になります。
所要時間——公式は「平均1時間」
公式サイトは「You can take all the time you need for your visit. On average, a visit takes an hour.(見学に必要なだけ時間をかけていただけます。平均すると、見学には1時間かかります)」としています。
旅程を組むときは、見学の1時間に入場の待機と展示室・ショップの時間を足して、1時間30分ほどを見ておいてください。導入プログラム付きのチケットなら、さらに30分を足してください。
開館時間と、休館日
公式サイトによると、開館は毎日9:00〜22:00です。ただし例外日があります。
| 日付 | 開館時間 |
|---|---|
| 1月1日 | 12:00〜22:00 |
| 4月27日(キングズデー) | 9:00〜17:00 |
| 5月4日 | 9:00〜17:00 |
| 2026年9月20日 | 9:00〜17:00 |
| 2026年9月21日(ヨム・キプル) | 休館 |
| 2026年9月22日・23日・24日 | 休館 |
| 2026年11月7日 | 9:00〜18:30 |
| 12月25日 | 9:00〜17:00 |
| 12月31日 | 9:00〜17:00 |
出典:アンネ・フランクの家 公式サイト「Exceptions to the opening hours」(2026年8月26日確認)。ヨム・キプルの日付は年によって変わります。また例外日は追加・変更されることがあるため、訪問前に公式サイトで最新の情報をご確認ください。
館内のカフェとショップ
公式サイトによると、ミュージアムカフェはプリンセン運河を見下ろす場所にあり、温かい飲み物・冷たい飲み物、軽食やランチが用意されています。ショップでは『アンネの日記』や博物館のカタログ、絵はがきなどが購入できます。
どちらも館内からしか入れず、支払いは銀行カードまたはクレジットカードのみです。現金は使えません。ショップの営業時間は博物館と同じです。

入場料そのものは€16.50ですが、旅行全体でいくらかかるのかは日数と国の組み合わせで大きく変わります。項目別の内訳をこちらでまとめています。
アンネ・フランクの家への行き方
アンネ・フランクの家は市内中心部にあり、主要な場所から歩いて行ける距離です。ただし2026年8月現在、最寄りのトラム停留所まで路線が復旧していません。古い案内をそのまま信じると現地で戸惑うので、この点から説明します。
トラムが最寄りまで走っていません(2028年2月まで)
公式サイトの「Practical information」ページには次のように書かれています。「From 15 February 2025 to February 2028, there will be no tram running up to the Westermarkt stop, but there will be a tram running up to Dam Square.(2025年2月15日から2028年2月まで、ウェステルマルクト停留所までトラムは走りませんが、ダム広場まではトラムが走ります)」
⚠️ 公式サイト内でも記述が食い違っています
公式の「Tickets」ページには、いまも「トラム13番または17番でウェステルマルクト下車」という案内が残っています。一方「Practical information」ページには上記の運休の記載があります。より具体的で日付が明記されている運休の案内のほうが現状に近いと考えられますが、この記事の情報も含めて、訪問直前にもう一度公式サイトのアクセス案内を確認することをおすすめします。
3つのルート——所要時間で選ぶ

©Jules Verne Times Two / Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0
目印は西教会の塔
アンネ・フランクの家のすぐ隣には西教会(Westerkerk)が建っています。高い塔があり、周囲の建物より頭ひとつ抜けているので、遠くからでも方向の目安になります。塔を目指して歩き、足元まで来たら建物を探す。この順番だといちばん迷いません。

中央駅からの街の歩き方、他の美術館との組み合わせ、宿泊エリアの選び方はこちらでまとめています。アムステルダム全体の回り方はこの記事を、アンネ・フランクの家そのものは本記事をご覧ください。
取り壊し寸前だった建物——博物館になるまで
今では年間約120万人が訪れる場所ですが、この建物は一度、取り壊しがほぼ決まっていました。その経緯を公式サイトの記述に沿ってたどります。
戦後、建物は空のまま荒れていった
1945年6月、隠れ家の住人のうちオットー・フランクだけがアウシュヴィッツから戻りました。オットーは社員たちとともに自分の会社の再建を試みますが、隠れ家は空のまま残されます。プリンセン運河263番地と隣接する建物は、戦後の年月のなかで荒れていきました。
1950年、繊維工場が取り壊しを計画
1950年、ベルクハウス(Berghaus)という繊維会社が、プリンセン運河とウェステルマルクトの角にある建物群を買い取ろうとします。263番地もその一つでした。計画は、建物を取り壊して新しい工場を建てるというものです。
オットーは所有者のヴェッセルスから建物を借りており、先買権を約束していました。1953年、オットーの会社オペクタがヴェッセルスから建物を購入します。しかしきちんと修復するだけの資金がありませんでした。1954年、オットーは不本意ながら建物をベルクハウスに売却します。取り壊しは避けられないと思われました。
1957年、財団の設立と、思いがけない寄贈
アムステルダムの著名な市民たちが委員会をつくり、アンネが日記を書いた建物を取り壊しから救おうと動き始めます。1957年、アンネ・フランク財団が設立されました。目的は隠れ家を保存して一般に公開すること、そしてその過程でアンネの理想を広めることでした。
同じ1957年、ベルクハウスは新工場の計画を取り下げ、プリンセン運河263番地を財団に寄贈します。ただし隣接する建物は不動産開発業者が買っていました。長い交渉の末、開発業者は全物件を35万ギルダーで売ることに同意します。当時のアムステルダム市長ヴァン・ハル氏が自ら資金集めに尽力しましたが、集まったのは一部でした。
1958年、アムステルダム市とアムステルダム大学が、この角の建物群に学生寮を設ける計画を立てます。大学が前払いの資金を出し、財団の不足分を埋めました。こうして隠れ家は最終的に救われます。

Wim van Rossem for Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)

Jack de Nijs for Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
1960年5月3日、公開
修復されたプリンセン運河263番地は1960年5月3日に一般公開されました。隠れ家はオットーの希望で空のままとされます。公開後、来館者は増え続け、最初の数年間の数万人規模から、現在の年間約120万人にまで達しました。オットー・フランクは1980年に亡くなるまで、財団と博物館に深く関わり続けています。
戦後15年のあいだに、この建物は少なくとも2回、消えかけています。1度目は1950年の工場計画、2度目は1954年の売却後です。取り壊しを止めたのは、行政でも国でもなく、市民の委員会と、それに応じた企業と大学でした。見学のときは、空っぽの部屋と同じくらい、この建物が今も建っていること自体を見ておく価値があります。順路の途中で古い梁や骨組みが見える場所があれば、それは1957年以降に人の手で残された部分です。
市内に残るアンネ・フランクの痕跡
アムステルダムには、博物館以外にもアンネ・フランクに関わる場所がいくつかあります。チケットが取れなかった場合や、見学のあとにもう少し歩きたい場合の行き先です。いずれも屋外にあり、予約は不要です。
1. 西教会脇のアンネ・フランク像
アンネ・フランクの家のすぐ隣、西教会の南側の壁の前に、アンネ・フランクの像が立っています。制作したのはハールレム生まれの彫刻家マリ・アンドリーセン(1897〜1979年)で、ブロンズ製です。出版社Contactの発案で作られ、1977年に当時のアムステルダム市長イヴォ・サムカルデンとアンネの父オットー・フランクの手で除幕されました。像は手を後ろに組んで立つ少女の姿で、台座には名前と「1929-1945」の年が刻まれています。

Bert Verhoeff / Anefo / Wikimedia Commons(CC0・パブリックドメイン提供)
2. メルウェーデ広場——一家が住んでいた家
アンネ・フランクの家から南へ離れたメルウェーデ広場(Merwedeplein)は、フランク一家が隠れる前に暮らしていた場所です。アンネ・フランクの家の公式サイトによると、フランク一家は1933年から、隠れ家に移る1942年までメルウェーデ広場で暮らしました。住所はメルウェーデ広場37番地です。
広場には、彫刻家イェット・スヘップによるアンネ・フランクのブロンズ像が立っています。2005年7月9日に、当時のアムステルダム市長ヨブ・コーエンによって除幕されました。片腕に学生かばん、もう一方の腕にもかばんを抱え、暮らしていた広場を振り返る少女の姿です。周辺の歩道には、この地区に住んでいた人々を記憶する「つまずきの石(Stolpersteine)」も埋め込まれています。
⚠️ 建物の中には入れません
メルウェーデ広場37番地の住居は一般公開されていません。アンネ・フランクの家が2017年にこの住居を取得しましたが、公式サイトによると現在はオランダの文学財団に貸し出され、亡命作家が毎年滞在しています。人が住んでいるため見学はできません。訪れるのは広場と像、つまずきの石までです。住民の生活の場ですので、建物や窓を撮影したり、敷地に立ち入ったりしないようご配慮ください。オンラインで室内を見たい方には、公式サイトが当時の住まいを再現した360度ツアーを公開しています。
3. 国立ホロコースト名前記念碑
市内東側の旧ユダヤ人地区には、国立ホロコースト名前記念碑(Nationaal Holocaust Namenmonument)があります。2021年9月19日にウィレム=アレクサンダー国王によって開幕されました。設計は建築家ダニエル・リベスキンドです。
高さ2.4メートルほどのレンガの壁が迷路のように連なり、その壁に名前が刻まれています。記念碑の公式サイトによると、刻まれているのはきちんとした埋葬をされることのなかった10万2,000人の名前です。上から見ると、壁の配置がヘブライ文字を形づくり、「lizkor(記憶せよ)」という語になる設計です。

©Christian Michelides / Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0
アンネ・フランクの家で見るのは、8人が過ごした部屋です。国立ホロコースト名前記念碑で見るのは、10万2,000という数です。片方だけだと、この出来事の大きさがつかみにくくなります。2つは市内の反対側にありますが、公共交通で移動すれば1日で両方を回れます。見る順番としては、アンネ・フランクの家を先にしてから記念碑へ向かうほうが、壁に刻まれた数の意味が入ってきやすくなります。
見学の前後をどう組み立てるか
アンネ・フランクの家は所要約1時間で、開館が22時までと遅いのが特徴です。この2つの条件から、旅程への組み込み方には型があります。
時間帯によって、その日の使い方が変わります
すぐ近くを歩くなら——ヨルダン地区
アンネ・フランクの家の西側に広がるヨルダン地区(Jordaan)は、細い運河と小さな店が並ぶ地域です。もともと職人や労働者の街だったところで、観光の中心部より落ち着いています。見学のあとに歩くには落ち着いたエリアで、カフェも点在しています。

©kevinmcgill from Den Bosch, Netherlands / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0
ベルギーやドイツとつなげる場合
アムステルダムは鉄道で周辺国とつながっており、ブリュッセルやブルージュ、ドイツ方面へ足をのばす旅程が組めます。ただしアンネ・フランクの家の日時が固定される以上、移動日はその前後に置くしかありません。「アムステルダム到着日の午前に見学」といった組み方はチケットが取れて初めて成立するので、日程の順番は柔軟に考えておいてください。

アムステルダムから鉄道でつなげやすいベネルクスの街です。オランダとベルギーを組み合わせる旅程を検討している方はあわせてご覧ください。
アンネ・フランクの家のよくある質問
当日券は本当に買えないのですか?
チケットはいつから買えますか?
見学にはどのくらい時間がかかりますか?
日本語で見学できますか?
スーツケースを持って行っても大丈夫ですか?
子ども連れでも行けますか?
写真は撮れますか?
I amsterdam City Card やミュージアムカードは使えますか?
休館日はありますか?
アンネの家はメルウェーデ広場にもあると聞きました。どちらへ行けばいいですか?
まとめ——訪れる前に決めておきたい3つのこと
アンネ・フランクの家は、行き当たりばったりでは入れない見学先です。旅程を組む段階で次の3つを決めておけば、当日に困ることはほとんどありません。
- 6週間前の火曜日を特定してカレンダーに入れる — 現地10時(日本時間17時/冬時間は18時)。ここを逃すと選択肢がかなり狭まります
- チケットは公式サイトで確保する — 当日券はありません。日時指定で、交換も払い戻しもできません
- 荷物の置き場所を先に決める — A4より大きいバッグは持ち込めず、預けることもできません
- その日の他の予定は、取れた時間に合わせて並べる — この施設だけは日程のほうを合わせにいきます
- 10歳未満の同行と、階段の可否を確認する — 最低年齢は10歳。急な階段と高い段差があります
- 訪問直前に公式サイトをもう一度見る — 開館時間の例外日、トラムの運行状況、企画展は変わります
この博物館では写真は撮れませんし、館内で見たものを持ち帰ることもできません。空っぽの部屋に立って、そこで過ごした2年間を想像する時間があるだけです。その時間を落ち着いて過ごすために、手配のほうは前もって片づけておいてください。
アンネ・フランクの家を含むオランダの旅程づくりでお困りのことがあれば、いつでもご相談ください。








